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ほそくながく

鍵盤楽器を演奏します。

演奏にマイナスの言葉を頂いた時に身体からアプローチ

プロアマ関係なく、演奏をしていると、お客様や先生や審査員などから「すごいね」「とても良かったよ」のような褒め言葉や感嘆の言葉をいただくこともあれば、批判だったり、注意だったり、バカにされたり、いわばマイナスよりの言葉をいただくこともあるはずです。

 

演奏行為というのは、どうしても奏者のパーソナルな部分が露出しがちなので、マイナスよりの言葉に、時には、全人格が否定されたようなショックを受けることもあるかと思います。

 

そういった、指摘、注意、批判、には

1,奏者のことが好きでない、奏者のことを支配したい、認めない、優位に立ちたい、バカにしている、嫉妬している気持ちから発した。

2,音楽を愛する気持ちから指摘や批判を発したが、言葉選びが下手だったり、性格がもともと短気だったりして、キツイ言い方になった。あるいは奏者側に様々な事情があり過剰反応した。

 

の、2パターンがあると思いますが、どちらかに完全に分類できるわけはなく、一つの発言の中に1と2の気持ちや状況が混在してる複雑なケースも結構多いんじゃないでしょうか。これは褒め言葉にもいえるような気がします。

 

奏者が「音楽が好きで、自分の音やステージについて自分で考えて、責任を持とうと努力する」スタンスがあれば、批判的な言葉の中でも、特に2番の要素についてはそのうちに腑に落ちて自分なりに受け入れたり参考にする部分と聞き流す部分を判断できたりしてくると思います。時間が解決してくれるといったところか。いつしか1番の要素の言葉の中からも(反面教師だったり様々な形で)学べるものを見つけられる時もくるかもしれません。

 

とはいえ。。

 

1番の要素って、破壊的な威力があるものなんですよね。そういうものを受けてしまったらそのショックをどうするか。。

 

さて、私が子供の頃お世話になっていた先生は、世界情勢や災害や時代の波を多数経験し、まさに壮絶な人生を歩まれていた方ですが、あるときおっしゃっていたことがありました。

 

「不幸や不運のようなものはね、空からじーっと人々を見ていて、背中を狙ってくるの。だから、どんなにつらいときでも、すっと背筋を伸ばして、前を向いて、へっちゃらみたいにして歩くのよ」

 

と。

 

ステージに上がる時、練習の時さえもですが、肩をあげて、猫背になって、胸が狭くなると、呼吸も浅くなる。ダメージも引きずる。これではよろしくない。おそらく伸びやかな演奏はできないし、失敗しがちになる。そして、間違えたりなどのトラブル時に素早く適切な対処や立て直しもできない。

 

自信がなくても、ビビってても、肩を落とすようにして、胸を開く感じで(言葉での説明って難しい)、前方を見て。意識してちょっとだけ上方を見たりもする。ピアノを弾くときだけじゃなく、日常でも時々取り入れたらいいかな。歩いてる時とかは足元にも注意ですけれど。

 

気持ちを気持ちで立て直そうとするのは実は困難なこと。気持ちは身体に影響するから、逆に身体からアプローチする。腹が立っていたり、悲しかったり、自信なくしてたり、イライラしててもいい。でも、身体の体勢だけは。指の先まで優雅に振舞ってみたり。

 

さらに、その効用ですが。。

 

まず書いておきたいのは、腹が立ったり悲しかったりする気持ちは、信頼できる誰か、に打ち明けて聞いてもらうことはとっても大切と思うということ。一方で、見境なくあちこちに言い「すぎ」たり、相手を攻撃するような言い方をし「すぎ」ると、自分が損することもあるかもしれないんですよね。「この人の演奏は、ここをこうしたらものすごくよくなると思うけど、指摘したら騒がれそうだから、言うのやめとこ。」という事態になる恐れとか。。(これって、指導に現場でよく聞く話な気がする。。)

 

その辺りを加味しながら、打ち明けて、気持ちを落ち着かせていけばいいんだけど、そういうことにも、身体からのアプローチってすごく効く気がするんです。丸まって、胸を閉じて、変な上目遣いになって周囲をみてる感じになると判断が狂いやすい気がする。それよりも、先生のアドバイスのように振る舞う。。

 

まあ、難しいですけどね。。ワタシも失敗だらけでござるよ。自己反省のためにも書いとるんです。。

 

そんな訳で、気持ちはぐしゃぐしゃでもいいから、身体からアプローチ、の、話でした。

やりたいことは、0.01でもいい。0(ゼロ)にしない。

たとえそれまでバリバリ活躍していた人でも、プロとして活動していた人も、子育て、介護、その他さまざまの事情により、活動や仕事が難しくなることが充分にあり得ると思う。

 

学生のとき、駆け出しの若いときは、実力と人脈さえあればやっていけると思ったり、なんでも自分次第であると思いこんでいることのほうが多い(あながち間違いではないが)。自分以外の人物、あるいは自分ではどうしようもない事情によって、大きく左右されてしまうということが、想像付かない、考えもしないことが多いんじゃないかと思う。

 

おとなになれば、誰にでもそういう状況になる可能性がある。

 

そんな余裕が取れないときに大事なことは「細く、細く、でいいから、ゼロにしてやめてしまわない」というところのみに注力することかなと思う。

 

音楽なら、年に一回、あるいは数年に一回、人前で演奏する機会を持ったり、それを目標にしたりする。発表会で、コンクールで、コンサートで、友人知人のウェディングで、職場のパーティで大小問わず、ごくごく、細くていいから、0にしないようにする。

 

プロの方の場合は、年に一回でいいから報酬を頂いて演奏したり、コンサートを企画し入場料を頂き、成功にするようにもっていく。

 

など。

 

何年も休む場合でも、何年も休んだからもうできない、ということはない。いつでも戻れるんだ。そういう意識が大切だと思う。

好きな音楽やスポーツをする時間を、毎日1分でも、週に5分でも。

育児がひと段落したら、介護が落ち着いたら、仕事が落ち着いたら、昔習ってたピアノをやってみたい。。と、思っている人は多いと思う。その気持ちは鍵盤楽器に携わるものとしてもとても共感できるし、ピアノ以外の楽器でも、スポーツでも、あると思う。

 

特に、育児や介護のように「自分以外の何かに、毎日、24時間(就寝中も例外ではなく。それこそトイレに行く時間やタイミングまで)予定を左右される」という状況にある人はその願いも切なるものではないか、と思う。

 

そして周囲の人からも「ひと段落したら、習い事ができたり活動の幅も広げられるわよ」と言われることも多いんじゃないか。きっとその日を楽しみにしつつも毎日を頑張っておられるのだと思う。

 

ただ、同時に、「ひと段落してだんだん自由になれるという保証がどこにあるんだ!」という不安も抱えているんじゃないかな、とも思っている。例えば育児がひと段落したところで次は介護が、という人も数多くいるはず。仕事が落ち着いたと同時にまた激務になる案件が待っている、という場合もあろう。パートナーの転勤が、という場合もあろう。

 

大人になって気づいたことのひとつに、特に家族のことになると、『何をどうしてもその人がいないと始められないので、絶対にいてくれなきゃ困る』という立場に置かれる人っているんだ」ということがある。ちょっと極端だけど「芸をやっているなら、家族の緊急の場合でも舞台に・・」というのが「物理的に」不可能である、という立場の人とでも言い換えればいいだろうか。。そういう人は特に、上記のような不安が大きいんじゃないかな。

 

だからこそ最近考えているのは「やりたいなと思っていることは、ひと段落したら、ではなくて、今、自分の健康面や周りとのバランスも考えながら毎日1分とか週に5分とかでいいからやったほうがいいんじゃないか」ということ。

 

優しい人、責任感のある人は周りのことばかり考えてしまうし、実際背負っているものが多い人ほどいろいろ考えると思う。だから、細く細く、0.1mmくらいの糸でもいいし、ダイレクトにやりたい事じゃあなくてもその周辺の関わりのあることでもいいと思うんだ。たとえば音楽なら寝る前にちょっと音楽を聴くとかでもいいと思う。

 

とにかく、ゼロにしない。めちゃくちゃちょっとでいいから、関わっておく。ということが大事なんじゃないかと。

 

世の中には周りから金銭面でもある程度の援助を受けられたり(生活の心配をしなくていいというのは大きいのだ)、精神面でもある程度の理解やバックアップを得られて、活躍しやすい状況にある人っていうのはいる。それはそれで、その環境に感謝しながら、思いっきり羽ばたけばいいと思う。

 

一方で、ピアノや音楽はそういう恵まれた立場にいる人だけのものでもないと思うんだ。スポーツもそうだと思う。(その点ではスポーツの方が種目特性はあるものの一歩リードしているような気もする)

 

ゼロにしないための工夫・・っていろいろあるはず、きっと・・。

 

そんなことを考えている最近です。